陶器、陶芸が高く売れる業者の紹介

投稿者: chiro | 2019年9月18日

陶器買取

皆さん、日本では各地で様々な陶器が焼かれていますが、
畿内と呼ばれていた地域では、陶器のことを瀬戸物と呼んでいるそうです。
そのような瀬戸物の主な産地を紹介したいと思います。
・ 益子焼(栃木県)
嘉永年間に現在の笠間市(当時の常陸国笠間藩)で修行した、大塚啓三郎が益子に窯を築いたのが始まりです。
〔特徴〕
砂気の多いゴツゴツとした土の質感をもち、また材料の性質上割れやすく、重いという欠点もある。
・ 九谷焼()
九谷焼は【古九谷】と【新九谷】に分けることができ、それぞれ特徴にも違いがありまう。
【古九谷】
大聖寺藩領の九谷村にて良質の土が発見され、当時の藩士である後藤才次郎を有田へ技能の習得に赴かせたのち、
1655年頃に藩の殖産政策として始まりましたが、18世紀初頭頃に突然廃窯となりました。
〔特徴〕
この磁器は、青、緑、黄などの濃色を多用した華麗な色使いと大胆で斬新な図柄が特色といえます。

【新九谷】
古九谷が廃窯の後、約一世紀後の1807年に加賀藩が、京都から青木木米を招き金沢の春日山窯を開かせたのをきっかけに、
加賀地方一帯に数々の窯ができ、この当時の陶器を「再興九谷」と呼びました。
その後明治時代になると、九谷焼は主要輸出品となり1873年のウィーン万国博覧会などにも出品され、また西洋の技法も取り入れられました。
1872年頃から型押しの技術が九谷焼に取り入れられ、1892年頃には獅子を始めとする置物の製作が盛んとなり、
大正時代には、型が石膏で作られるようになり量産化がされるようになりました。
・ 楽焼(京都府)
16世紀後半に、豊臣秀吉の城郭や邸宅でもある聚楽第の建設で掘り出された土(聚楽土)を使い、
瓦職人だった長次郎が千利休の指導により焼いた「聚楽焼」(じゅらくやき)が始まりです。
〔特徴〕
【黒楽】
素焼き後に加茂川黒石からつくられた鉄釉をかけて陰干し、乾いたらまた釉薬をかけることを繰り返し、その後1000℃程度で焼成する。
焼成中に釉薬が溶けた頃に取り出し、急に冷やすことにより黒く変色をします。
【赤楽】
赤土を素焼きし、透明の釉薬をかけて800℃程度で焼成をする方法で制作します。
千利休のとあるエピソードによると、豊臣秀吉は【黒楽】よりも、【赤楽】の方を好んだそうです。

そのような瀬戸物などの陶器や陶芸品を所有されている皆さん、
「家を大規模に建替えるので、これまで収集した陶器を買取して貰いたい。」
「親族の遺品整理として、陶芸品を手放したい。」
などと思われた際には、東京や大阪などに店舗を展開しているエコリングさんをお勧めします。
こちらではお客さんが利用しやすい買い取り方法を用意していて、
・ 店舗にて、陶芸品買取や陶器買取をする、店頭買取。
・ 種類や数が多い方には便利な、ご希望の場所に鑑定士が来てくれる、出張買取。
・ 宅配便を使うことで、簡単に陶器買取が行える、宅配買取。
などの方法がありますので、自分の都合に合った方法を選んで買取依頼できます。
是非皆さん、エコリングさんで高く買取して貰いましょう。